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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

オタワ (駆逐艦・初代)

レーダーが搭載された。しかし、これは前方しか探査できないため艦自体を目標に向ける必要があった。11月23日、ドイツ潜水艦「U100」に沈められた穀物運搬船「Bussum」の生存者29名を救助した。 「オタワ」は1941年6月にカナダに戻り、大西洋中央部での船団援護に当たるカナダ海軍のNewfoundland

คำที่เกี่ยวข้อง

ソヴェルシェーンヌイ (駆逐艦・初代)

миноносец)である。艦名は、「申し分のない、まったくの」といった意味のロシア語の形容詞である。 ソヴェルシェーンヌイは、7号計画によって建造される駆逐艦の1 隻として、1936年8月17日にニコラーエフの第200工場(現在の61コムナール記念造船工場)で起工された。工場番号では第1073艦、当初の名称は「豪胆な」という意味の

スウィフト (駆逐艦・初代)

6センチ砲(QF 12ポンド砲)よりも強力な40口径10.2センチ砲(BL 4インチ砲Mk.VIII)が採用された。船首楼甲板上に2門を並列に配置し、また後部甲板の中心線上にも2門を配置した。船首楼甲板の砲には、後に砲盾が装備された。 その後、1916年には仮想敵であるドイツ帝国海軍の大型水雷艇が12

ダッチェス (駆逐艦・初代)

020㎞もあり、ペナンまで15時間かかることから、長水田船長は船医の佐藤一郎医師を「ダッチェス」へ往診に行かせ、19時頃、患者を治療して「水戸丸」へ帰船。こうして腹痛に苦しんでいた乗組員は事無きを得たため、「水戸丸」は目的地であるハンブルクを目指して西へ、「ダッチェス」はペナンを目指して東へと向かっ

D級駆逐艦 (初代)

装備面では、27ノッター型(A級)のものが踏襲された。水雷艇撃攘のための艦砲は駆逐艦の第一の武器とされており、主砲としては40口径7.6cm砲(QF 12ポンド砲)1基、副砲として40口径5.7cm砲(QF 6ポンド砲)5基が搭載された。主砲は艦首甲板直後のプラットフォームに搭載された。 また、水雷艇撃攘

H級駆逐艦 (初代)

0年度計画の艦では、更に30パーセントの建造費低減が図られた。これによって建造されたのが本級である。 E級以来の船首楼型が踏襲されているが、艦型の縮小を補って堪航性を確保するため、船首楼甲板の高さを増すとともに、艦橋を極力後方に移動した。しかしこの結果として、煙突の排煙が艦橋に深刻な影響を及ぼすよ

L級駆逐艦 (初代)

では全長を若干短縮するかわりに幅と吃水が増している。また船首楼の高さを増してフレアを大きく取ることで、凌波性の向上を図ったほか、減揺装置として、初めてフリューム式減揺タンクが装備された。 機関構成・出力はアカスタ級(K級)と同様で、ボイラーはヤーロウ式の重油専焼水管ボイラー4缶、主機はパーソンズ式直

I級駆逐艦 (初代)

タービン(2軸推進)、ソーニクロフト特型ではパーソンズ・タービン(3軸推進)と、いずれも従来通りの直結タービン方式であったが、パーソンズ特型では、初めて減速機を介したパーソンズ・セミ・ギヤード・タービンを採用した。これは、高圧タービンと巡航タービンに歯車減速機を付けて、推進軸と直結した低圧タービン

A級駆逐艦 (初代)

て近海での作戦は敏捷な水雷艇を重視するように切り替えたことを意味するように思われた。 この対策として、1880年代中盤より、イギリス海軍は、水雷艇を撃攘しつつ自らも敵艦に雷撃を敢行しうる高速・軽快な艦として、水雷艇捕獲艦(Torpedo boat catcher)や水雷砲艦(Torpedo

F級駆逐艦 (初代)

たことから、従来の駆逐艦と同様に、ホワイトヘッド魚雷のための18インチ魚雷発射管2基も搭載されている。1909年には、新型の熱走魚雷であるマークVII(雷速41ノットで駛走距離2,700 m)の運用にも対応した。また1918年9月には、この時点で就役していた艦を対象として、近距離での対水上戦に備え

B級駆逐艦 (初代)

艦では4軸推進が採用されており、両外軸に高圧タービン、両内軸に低圧タービンと後進タービンを結合した。また減速機を持たない直結タービンであるため、高回転下で効率的にタービン出力を推力に変換するため、各推進軸に3個ずつの推進器を備えた。また1908年度には、事故で沈没した30ノッター型(C級)2隻の代艦

S級駆逐艦 (初代)

ワイト社艦ではホワイト・フォスター式が搭載された。 なお計画速力は36ノットとされていたが、アドミラルティS級では排水量超過の艦が続出し、これを達成できない艦も少なくなかった。これに対し、ソーニクロフトS級およびヤーロウS級ではいずれも計画速力を達成し、「タイリアン」では39.401ノットを発揮した。

R級駆逐艦 (初代)

97年度の「ヴァイパー」などで直結タービンを試験採用したのち、1905年度のF級より本格採用した。しかしこちらも出力の伝達効率などに限界があり、歯車減速機の採用が指向された。 まず1910年度のI級パーソンズ特型でセミ・ギヤード・タービンが試験的に搭載されたのち、1913年度のL級パーソンズ特型で

E級駆逐艦 (初代)

トを目標とした30ノッター型(後のB級、C級、D級)が整備された。 1898年のファショダ事件で英仏関係の緊張は頂点に達したが、これを契機に両国は融和路線に転じ、1904年の英仏協商により、中世の百年戦争以来の数百年にもわたった英仏間の対立関係に終止符が打たれた。この動きの背景にあったのが、ヴィルヘ

K級駆逐艦 (初代)

なお、アケロン級(I級)では、イギリスの民間造船所の高い技術力に期待して、海軍本部の設計による基本型(アドミラルティ型)とは別に、設計・建造にあたって各造船所に大幅な自由裁量を許した特型(Specials)が建造されていたが、このアプローチは本級でも踏襲されており、4タイプ8隻が建造された。 船型は

G級駆逐艦 (初代)

式に差し戻すこととなった。これによって建造されたのが本級である。 艦型はE級以来の船首楼型が踏襲されており、艦橋の低さなども含めて、F級の後継というよりはE級の拡大型に近いシルエットとなっている。なお、従来、主錨は甲板上に横置きし、ダビットで海面に投下していたが、本級より外販付ベルマウスに収められた

C級駆逐艦 (初代)

巡航機として小型のレシプロ蒸気機関を搭載し、こちらでも13ノットの巡航速力を発揮できた。公試速力は27.5ノットと他の30ノッター型に劣った一方、11ノットで1,173海里とレシプロ艦に匹敵する航続距離を確保した。またその後、主力艦の巡航速力の向上を受けて、1906年には巡航

初桜 (駆逐艦)

初桜(はつざくら)は日本海軍の駆逐艦。仮称5522号艦、橘型(改松型)駆逐艦の1艦として横須賀海軍工廠で建造された。 艦名は「その年初めて開いた桜の花、また、咲いてまもない桜の花」のこと。 竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入され、特令あるまで待機を行うよう命じられ

初月 (駆逐艦)

Ref.C14121196500『昭和17年度 帝国海軍戦時編制(内示案) 昭和16.9.12/ 昭和17年度戦時駆逐隊・潜水隊・水雷隊・掃海隊・驅潛隊・通信隊・航空隊編制予定表 昭和17年度警備隊・防備隊附属艦艇及防備機関編制予定表 昭和17年度戦時艦船飛行機搭載予定表/第1表〜第9表』。  Ref

初風 (駆逐艦)

炎、不知火、《朝潮型駆逐艦:霞、霰》)から編制されており、15駆・16駆・18駆が陽炎型を主力としていた。だが第18駆逐隊は第一水雷戦隊(司令官大森仙太郎少将:旗艦阿武隈)の指揮下に属して南雲機動部隊警戒隊となり、真珠湾攻撃に参加。16駆以下の二水戦各艦とは別行動であった。